特攻隊

特攻 白菊 赤とんぼ 複葉機 水上偵察機

特攻が最も多かった月は1945年4月で1474人(696機)次に多いのは5月952人(246機) つまり沖縄戦の時である。 特攻に最も多く使われたのは零戦で647機(647人)その内1945年4月に使われたのは255機、5月は65機である。 終戦時、海軍はすべて合わせれば7000機…

特攻に出撃した提督と自決した提督

宇垣纏(うがきまとめ)と大西瀧治郎は共に海軍兵学校40期卒業の同期。 終戦時は二人とも、海軍中将。 そして二人はマレー沖海戦、硫黄島、沖縄と続く第二次大戦最後の大きな戦闘と、それに伴う特攻攻撃に深く関わった。 マレー沖海戦で宇垣は戦艦大和に乗船…

きけ わだつみの こえ

『きけ わだつみのこえ』は第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺稿集。 1947年(昭和22年)に東京大学協同組合出版部により編集されて出版された東京大学のみの戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』を母体として、ひろく全国の大学高等専門学校…

航空母艦

太平洋戦争以前、海軍主力は戦艦であった。 日本軍による真珠湾攻撃以来、日米ともに制空権なくして勝利はなく、飛行機を搭載した航空母艦が主力艦となった。 艦艇に突入する特攻の主たる目標は航空母艦であった。 「一機一艦撃沈」と日本軍では言われること…

桜花

航空特攻には飛行機による突入以外に人間ロケット爆弾「桜花」があった。 米軍による桜花分解図 長さ約6m、前頭部に1.2トン徹甲爆弾内蔵、全重量約2トン、特攻で最も多かった零戦の装着爆弾である250kgに比べて約5倍の強力な破壊力であった。 固体ロケット…

鳥浜トメの戦後

「ホタル帰る」赤羽礼子・石井宏 著 より ​ 知覧は軍の基地のあった町なので真っ先に米軍が占領すると言われたのに、実際には米軍はなかなかやってこなかった。十二月になってようやく米軍が来ることになった。その情報が流れると、知覧の町民の不安は頂点に…

知覧特攻基地 鳥浜トメ 朝鮮人特攻隊員 Korean Kamikaze

鹿児島県 知覧 特攻基地 / 富屋食堂 鳥浜トメ 小林威夫少尉 昭和17年1942年、鹿児島県知覧に陸軍の飛行学校ができた。その時、富屋食堂という食堂が軍指定食堂になった。食堂の女主人は鳥浜トメと言い、働き者で屈託がなく、町の人から信頼されていた…

最初の陸軍特攻隊と9回出撃して帰還した特攻隊員

陸軍最初の特攻隊 第二次世界大戦当時、空軍はなく、海軍と陸軍がそれぞれ航空部隊を持っていた。 1944年11月、海軍に続き、陸軍でも飛行機による特攻攻撃がフィリピンで始まる。 陸軍の最初の特攻隊は岩本益臣大尉を隊長とする万朶隊(ばんだたい)とされて…

神風特攻隊第一号 First Kamikaze

神風特別攻撃隊の実写映像【第二次世界大戦】 海軍大尉 関行雄 1944年10月28日、 「海軍大尉、関行雄を隊長とする神風特別攻撃隊敷島隊は10月25日に米軍艦に体当たり攻撃し、航空母艦1隻撃沈、同1隻炎上撃破、巡洋艦1隻轟沈した」と当時の海軍省は公表した。…