特攻に出撃した提督と自決した提督

宇垣纏(うがきまとめ)と大西瀧治郎は共に海軍兵学校40期卒業の同期。

終戦時は二人とも、海軍中将。

そして二人はマレー沖海戦硫黄島、沖縄と続く第二次大戦最後の大きな戦闘と、それに伴う特攻攻撃に深く関わった。

 

マレー沖海戦で宇垣は戦艦大和に乗船してレイテ湾の米軍に向かって進軍、これを助けるため大西は神風特別攻撃隊を組織して空から米軍を攻撃した。

 

二人は戦争に勝利することができないことを承知の上で、特攻隊の出撃を命令し続けた。

 

1945年8月15日終戦の日、宇垣は九州の基地から自ら特攻出撃し戦死。

 大西は、その翌日8月16日、東京で自刃し特攻隊員とその家族に謝る遺書を残した。

 

大西瀧治郎  明治24年1891年6月2日 - 昭和20年(1945年8月16日

宇垣纏    明治23年(1890年)2月15日-昭和20年(1945年)8月15日


 大西瀧治郎

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大西瀧治郎

 略歴、航空関連が主体で早くからの戦艦無用論者だった。

 

1944年10月5日、大西は第一航空艦隊長官に内定した。(「艦隊」とあるが、航空隊の呼称)この人事は特攻開始を希望する大西の意見を認めたものともいわれる

大西は比島に出発前、米内光政海軍大臣に「フィリピンを最後にする」と特攻を行う決意を伝えて承認を得た。また、及川古志郎軍令部総長に対しても決意を語った。及川は「決して命令はしないように。戦死者の処遇に関しては考慮する。指示はしないが現地の自発的実施には反対しない」と承認した。

 大西は比島到着後、一航艦参謀長小田原俊彦少将ら幕僚に神風特攻隊を創設する理由を次のように説明した。(大西は軍需局の要職にいたためもっとも日本の戦力を知っており、)重油、ガソリンは半年も持たず全ての機能が停止する、もう戦争を終わらせるべきである。講和を結ばなければならないが、戦況も悪く資材もない現状一刻も早くしなければならないため一撃レイテで反撃し、7:3の条件で講和を結び満州事変のころまで日本を巻き戻す。フィリピンを最後の戦場とする。特攻を行えば、天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。また、この犠牲の歴史が日本を再興するだろうと。丸『特攻の記録』光人社NF文庫26頁

  

1944年10月19日、大西中将は夕刻マバラカット飛行場第201海軍航空隊本部で201空副長玉井浅一中佐、一航艦首席参謀猪口力平中佐、二十六航空戦隊参謀吉岡忠一中佐らを招集し会議を開いた。大西は「米軍空母を1週間位使用不能にし捷一号作戦を成功させるため零戦に250キロ爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに確実な攻撃法はないと思うがどうだろう」と提案した。山本司令が不在だったため玉井副長は自分だけでは決められないと答えた。大西は、山本司令から同意を得ていることを伝え、決行するかは玉井に一任した。玉井は時間をもらい飛行隊長の指宿正信大尉、横山岳夫大尉らと相談して体当たり攻撃の決意を大西に伝えた。

 

 10月22日、第二航空艦隊長官福留繁中将に第二航空艦隊も特攻を採用するよう説得するが、断られた。第一航空艦隊の特攻戦果が出た25日、第二航空艦隊も特攻採用を決定する。大西は福留に対し「特別攻撃以外に攻撃法がないことは、もはや事実によって証明された。この重大時期に、基地航空部隊が無為に過ごすことがあれば全員腹を切ってお詫びしても追いつかぬ。第二航空艦隊としても、特別攻撃を決意すべき時だと思う」と説得して、福留の最も心配した搭乗員の士気問題については確信をもって保証すると断言したため、福留も決心し、第一航空艦隊と第二航空艦隊を統合した連合基地航空隊が編成された。福留が指揮官、大西が参謀長を務めた。大西は第一航空艦隊、第二航空艦隊、721空の飛行隊長以上40名ほどを召集し、大編隊での攻撃は不可能で少数で敵を抜けて突撃すること、現在のような戦局ではただ死なすよりは特攻が慈悲であることなどを話して特攻を指導した。大西の強引な神風特攻隊拡大に批判的な航空幹部もいたが、大西は「今後俺の作戦指導に対する批判は許さん」「反対する者は叩き切る」と指導した。

 

 10月20日米軍レイテ島に上陸。700隻の艦艇、20万人以上の上陸部隊、陸上機艦載機あわせて4000機以上。

10月21日神風特別攻撃隊初出撃

10月24日から26日まで世界最大の海戦、レイテ沖海戦

10月25日神風特別攻撃隊敷島隊、体当たりにより最初の撃沈

次々と特攻隊が出撃した。 

しかし戦艦武蔵の撃沈他、海戦で大敗し、レイテ湾突入による米軍殲滅もできなかった

 

1945年1月、体当たり攻撃は無駄ではないか、中止してはどうかという質問に大西は「この現状では餌食になるばかり、部下に死所を得させたい」「特攻隊は国が敗れるときに発する民族の精華」「白虎隊だよ」と答えている。同月には、ついにダグラス・マッカーサー大将自ら指揮する連合軍大艦隊が、大西らがいるルソン島に侵攻してきた。1月6日には、日本軍は陸海軍ともに、熟練した教官級から未熟の練習生に至るまでの搭乗員が、稼働状態にある航空機のほぼ全機に乗り込んで、リンガエン湾に侵入してきた連合軍艦隊を攻撃した。大規模な特攻を予想していた連合軍は、全空母の艦載機や、レイテ島、ミンドロ島に進出した陸軍機も全て投入して、入念にルソン島内から台湾に至るまでの日本軍飛行場を爆撃し、上陸時には大量の戦闘機で日本軍飛行場上空を制圧したが、日本軍は特攻機を林の中などに隠し、夜間に修理した狭い滑走路や、ときには遊歩道からも特攻機を出撃させた。そのため圧倒的に制空権を確保していた連合軍であったが、特攻機が上陸艦隊に殺到するのを抑止することができなかった。この日の戦果は、駆逐艦1隻撃沈、戦艦4隻、巡洋艦5隻、駆逐艦5隻撃破と特攻開始してからの最大の戦果となったが、日本軍は陸海軍ともにこの攻撃でほぼ航空機を使い果たしてしまい、こののちは散発的な攻撃しかできなかった。

 

 レイテ島を攻略した米軍は次にルソン島を目指した。

1月4日から5日にかけて米軍は大輸送船団を伴って大艦隊がルソン島西側北上。

日本軍は既に食糧も不足し、3食サツマイモであった。

1月5日と6日、陸海軍の航空部隊は総力を挙げて体当たり攻撃をかけた。

 

 1月5日

重巡「オーストラリア」大破 戦死30名負傷64名

護衛駆逐艦「スタフォード」大破

その他損傷は

護衛空母「マニラベイ」戦死22名負傷56名

護衛空母サヴォアイランド」

重巡ルイスビル

水上機母艦「オルカ」

駆逐艦「ヘルム」

駆逐艦「アランタ」

歩兵揚陸艇70号

曳船「アパッチ」

 

1月5日出撃海軍特攻隊

マバラカット出撃海軍特攻隊 

 第十八金剛隊 零戦 爆装250㎏ 15機 15名

        零戦 直掩    2機 2名

 旭日隊    彗星 爆装250㎏ 1機 2名

 

1月6日

掃海駆逐艦「ロング」この日3回特攻を受け沈没 戦死1名負傷35名

最初は 昼前の攻撃、第二十二金剛隊1100アンヘレス出撃の零戦、爆装250㎏

 三宅輝彦中尉(横浜高工予備学生13期)

 広田豊吉中尉(和歌山師範予備学生13期)

 吉原晋中尉(横浜高工予備学生13期)

 黒沢厚(予科練丙飛16期)

 

この日の特攻隊による米軍損傷は

1100 掃海駆逐艦ロング    至近 

1122 駆逐艦リチャードPリアリ 至近 損傷

1159 戦艦ニューメキシコ   命中 大破 戦死29名負傷87名

1200  駆逐艦ウオーク      命中 大破 戦死13名負傷33名

1206 駆逐艦アレンMサムナー 命中 大破 戦死14名負傷19名

1208 豪重巡オーストラリア  至近 大破 戦死44名負傷68名

1209 戦艦ミッシシッピー   至近

1211 豪巡洋艦シュロプシア  至近

1215 掃海駆逐艦ロング    2機目命中 沈没 戦死1名負傷35名

1215 高速輸送船ブルックス  命中 損傷 戦死3名負傷11名

1406 戦艦ニューメキシコ 命中

1427 駆逐艦オブライエン 命中 損傷 戦死50名負傷76名

1427 駆逐艦バートン     至近 損傷

1500 巡洋艦コロンビア    至近

1720 戦艦カリフォルニア 命中 大破 戦死44名負傷155名

1730 掃海駆逐艦ロング  3機目命中 

1730 巡洋艦コロンビア   命中 大破

1731 巡洋艦ルイスビル    命中 大破 戦死36名

1734 豪巡洋艦オーストラリア 2機目命中 大破

 

10隻に命中、7隻に至近

海軍特攻隊36機出撃

 

 このほかの損傷

重巡ミネアポリス駆逐艦ニューカム」掃海駆逐艦サウザード」

 

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USS Louisville

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USS California BB-44

1月6日出撃海軍特攻隊

アンヘレス出撃 1100 リンガエン湾輸送船団目標 

 第二十二金剛隊    零戦、爆装250㎏ 4機 4人

マバラカット出撃 1250 リンガエン湾侵入攻略部隊目標

 第十九金剛隊   零戦 爆装250㎏ 13機 13人

クラーク出撃 1400-1500

 八幡隊 リンガエン湾内艦船目標 天山 雷装 2機6名

マバラカット出撃 1655 リンガエン湾大攻略部隊目標

 第二十金剛隊   5機 5人 

ニコルス出撃 1600 イバ沖北進中部隊目標

 第二十三金剛隊  8機 8人 直掩 4機 4人 誘導(彗星) 1機 2人

マバラカット出撃 1600  リンガエン湾・レイテ海目標

 第30金剛隊    2機 2人 

ソビ・マバラカット出撃 1750

旭日隊 スリガオ海峡・ミンダナオ海峡西航船舶 彗星 爆装500㎏ 2機4名

    リンガエン向け航行中空母目標

 

 1月6日米軍は上陸開始、

 

1月6日夜、大西はクラーク地区の全航空部隊の指揮官に対し、「この上はクラーク西方山岳地帯に移動し、地上作戦を果敢に実施し最後の一兵まで戦い抜かん」と訓示した。航空機を消耗し尽くした大西ら第一航空艦隊司令部は連合軍地上部隊を迎え撃つための陸戦部隊化について協議していたが、連合艦隊より第一航空艦隊は台湾に転進せよとの命令が届いた。躊躇する大西に猪口ら参謀が「とにかく、大西その人を生かしておいて仕事をさせようと、というところにねらいがあると思われます」と説得したのに対して、大西は「私が帰ったところで、もう勝つ手は私にはないよ」とった。第26航空戦隊司令官杉本丑衛少将が「あとは引き受けましたから、長官は命令に従ってください」と言われた大西は台湾を出る決意をした

 

1月9日から米軍上陸開始、初日68000人、総計20万人以上の大部隊が上陸攻撃。

 

1月10日、大西らはクラーク中飛行場から台湾へ一式陸上攻撃機で脱出した。この時、763空司令佐多直大大佐は大西の脱出に抗議した。221空飛行長・相生高秀少佐が当時現地で聞いた話では、佐多が「昨夜の訓示では、長官も山に籠って陣頭指揮されるものとばかり思っておりました。総指揮官たるものが、このような行動を取られることは指揮統率上誠に残念です」と抗議。

戦場秘話…命がけでフィリピンを脱出した搭乗員、下された「非情命令」

 

航空隊、対空砲台、設営隊、艦艇の乗組員など15000名を超える将兵が陸戦隊となったが、飛行機の搭乗員は養成に時間がかかり、適正がなければならず、再び戦力とするために、フィリピンから脱出させることになったが、搭乗員たちは陸路、ルソン島北部のツゲガラオ基地に後退させ、そこから輸送機で台湾へ送ることになった。司令部のあるバンバン基地からツゲガラオまでは最短450㎞。米軍を避けて夜間山中の行軍は約600㎞(東京・神戸間)を主として徒歩を余儀なくされた。また、米軍に味方する現地のゲリラにも悩まされた。

 

比島に残った陸戦隊15000人以上のうち生還者は約450名。

 

ツゲガラオにたどり着き台湾に脱出できた搭乗員は約525人という。

しかし、ツゲガラオから1月末、出撃した特攻隊がいた。

1月21日 第3新高隊 零戦爆装250㎏ 4機4名 目標台湾東方の機動部隊

1月25日 第27金剛隊 零戦爆装250㎏ 1機1名 

     住野秀信中尉 長崎師範 13期 リンガエン湾内艦船目標

 

 

台湾でも第一航空艦隊は特攻を継続し、残存兵力と台湾方面航空隊のわずかな兵力により1945年1月18日に「神風特攻隊新高隊」が編成された。台南海軍航空隊の中庭で開催された命名式で大西は「この神風特別攻撃隊が出て、万一負けたとしても、日本は亡国にならない。これが出ないで負けたら真の亡国になる」と訓示した。

1月21日台南基地出撃 爆装500㎏ 彗星 5機10名

 

台湾高雄基地にフィリピンから到着した戦闘機乗りは全員特攻隊になった。特攻専門部隊として第205海軍航空隊が編成され、大義隊と命名され、103名が組み入れられた。

 

戸川幸夫東京日日新聞記者、のちに作家)から「特攻によって日本はアメリカに勝てるのですか?」と質問された大西は「勝てないまでも負けないということだ」「いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。勝敗は最後にある。九十九回敗れても、最後に一勝すれば、それが勝ちだ。攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。戦争はドロンゲームとなる。これに持ちこめばとりも直さず日本の勝ち、勝利とはいえないまでも負けにはならない。国民全部が特攻精神を発揮すれば、たとえ負けたとしても、日本は亡びない、そういうことだよ」と答えている。後藤基治(大阪毎日新聞記者)から特攻を続ける理由を聞かれた大西は「会津藩が敗れたとき、白虎隊が出たではないか。ひとつの藩の最期でもそうだ。いまや日本が滅びるかどうかの瀬戸際にきている。この戦争は勝てぬかもしれぬ」「ここで青年が起たなければ、日本は滅びますよ。しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」と答えた。

草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』文春文庫16-17頁

 

4月から6月にかけて、沖縄戦で最大の特別攻撃が行われた。

人間ロケット爆弾「桜花」も使われた。

戦艦大和特別攻撃隊として飛行機の援護もなく出撃、撃沈された。

 

8月9日、大西は最高戦争指導会議に現れて徹底抗戦を訴える。12日、豊田が陸軍の梅津美治郎参謀総長とともにポツダム宣言受諾反対を奏上すると、米内海軍大臣は豊田と大西を呼び出した。米内は今まで見たことがないような憤怒の表情で「軍令部の行動はなっておらない。意見があるなら、大臣に直接申出て来たらよいではないか。最高戦争指導会議(9日)に、招かれもせぬのに不謹慎な態度で入って来るなんていうことは、実にみっともない。そんなことは止めろ」となどと激しく叱責した。

 

1945年8月16日、渋谷南平台町の官舎にて大西は遺書を残し割腹自決した。午前2時から3時ごろ腹を十字に切り頸と胸を刺したが生きていた。官舎の使用人が発見し、多田武雄次官が軍医を連れて前田副官、児玉誉士夫も急行した。熱海にいた矢次一夫も駆けつけたが昼過ぎになった。大西は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言い、児玉に「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。」と話した。児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」といさめた。介錯と延命処置を拒み続けたまま同日夕刻死去。享年55。

終戦の混乱で海軍からは霊柩車はおろか棺桶の手配すらなく、従兵が庭の木を伐採して棺桶を自作した。霊柩車は結局手配できず、火葬場には借りてきたトラックで運ぶこととなった。大西は花が好きであったが、手向ける花すらなかったので、多田の妻女が火葬場の道中で見かけたキョウチクトウの花を摘んで大西に手向けた。

 

遺書は封筒に収められ、封筒の表書きは「八月十六日 四四五自刃す」と記されていた。

 

特攻隊の英霊に白(もう)す

善く戦ひたり深謝す

最後の勝利を信じつつ

肉弾として散華せり

然れ共其の信念は遂に

達成し得ざるに至れり

吾死を以って旧部下の

英霊と其の遺族に

謝せんとす

 

次に一般青少年に告ぐ

我が死にしては軽挙は

利敵行為なるを思ひ

聖旨に副ひ奉り

自重忍苦するの

誠ともならば幸いなり

隠忍するとも

日本人たるの

衿持を失う勿れ

諸子は國の賓なり

平時に処し猶ほ克く

特攻精神を堅持し

日本民族の福祉と

世界人類の和平の為

最善を盡くせよ

海軍中将大西瀧治郎

 

 

 

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宇垣纏


 宇垣纏は大西と異なり艦艇の上で経歴を重ね、大艦巨砲主義であったが、最後に1945年2月に第5航空艦隊司令長官として航空隊の司令官として特攻隊を指揮した。

 

1943年(昭和18年)4月18日、宇垣は山本五十六と共に一式陸上攻撃機2機に分乗して前線視察中、待ち伏せしていた米軍機に襲撃され、山本長官搭乗の1番機被弾、モイラ岬のジャングルに墜落。山本長官以下11名戦死。宇垣纏参謀長搭乗の2番機も被弾炎上し海上に不時着。宇垣以下3名負傷するも救助された。

 

宇垣は山本の遺骨と共に、戦艦「武蔵」で内地に帰還。その後、山本の形見として短刀を貰う。その短刀を携えてみずから最後の特攻に出撃することになる。

 

レイテ沖海戦には第1戦隊(大和、武蔵)司令官として臨み、海上からレイテ湾の米軍を目指して進軍。これを空から援護する役目を担ったのが大西で、大西はこのレイテ沖海戦がなんとか米軍に負けずに終戦を迎える最後のチャンスと見て、最初の特攻を命令した。

 

レイテ湾沖海戦 日米戦力

日本軍        米軍

   航空母艦4      航空母艦17

             護衛空母18

   戦艦9        戦艦12

   重巡洋艦13     重巡洋艦11

   軽巡洋艦6他    軽巡洋艦15

   駆逐艦34      駆逐艦141

   航空機約600機   空機約1000機
                  補助艦艇約1500隻

宇垣が指揮する第一戦隊はレイテ湾に突入する主力の栗田中将率いる第一部隊に入っていた

第一部隊

 

関大尉の率いる神風特攻隊は米空母セントローの撃沈など期待以上の成果を挙げたが、艦隊は航空機の援護もほとんどなく、第一部隊の戦艦武蔵等以外にも第二部隊(戦艦金剛、榛名など)第三部隊(戦艦山城、扶桑など)、第二遊撃隊(重巡洋艦那智、足柄など)とも多くの被害を出してレイテ湾突入寸前に回頭退避した。

 

 

 

昭和二十年二月に、第五航空艦隊が新設された。 零戦の二〇三航空隊、彗星艦爆の七〇一航空隊をはじめ、重爆撃機の「飛龍」を持つ陸軍航空隊までも指揮下に置く総数六百七十余機という大航空艦隊であり、日本に残された最後の決戦兵力であった。 司令部を大隅半島の鹿屋に置き、司令長官には宇垣纏中将。宇垣は着任早々、「挙隊特攻」つまり、「特令の無い限り、攻撃は特攻とする」と宣言した。特攻は例外ではなく、原則となった。

 

陸軍は福岡に司令部を置く第6航空軍司令官、菅原道大中将。 

 

宇垣は自らの日記『戦藻録』(3月20日)に次のように記している。

「優秀なる技量者は本方〔正攻法の攻撃のこと〕をもつてするを経済有効的とす。しかれども本思想を一般に適用せば必中を期せられざるに至る。むづかしき点にして、吾人は依然として、特攻精神に重点をおかざるべからず」

搭乗員の技術が優れていれば、正攻法の雷爆撃のほうがいい。一時的に戦果がなくても生還してまた出撃できれぱ期待できる。しかし、全員がその正攻法を続けていたら「必中」は期待できない。となれば、「特攻」を優先せざるを得ない……。宇垣らしい「合理性」である。翌21日には、人間爆弾「桜花」部隊を投入する。

 

特攻戦死者数

      2月   3月   4月    5月      6月     7月  8月

    主に硫黄島 九州近辺   沖縄周辺     本土周辺

海軍              43               434          1041     441    99         10         62        

陸軍               0                 36             433    511   162         12         19

       (8月には15日出撃の宇垣提督17名、19日満州 神州不滅特別攻撃隊9名を含む)

 

フィリピンのあと、特攻は、主として南九州の特攻基地を拠点に繰り返されていく。

「十死零生」の特攻は続けられた。大日本帝国陸海軍には、ほかに取り得る作戦がなかった。

 

『戦史叢書沖縄・台湾・硫黄島方面陸軍航空作戦』

「比島決戦で極度に戦力を消耗した結果、米軍の次期進攻に対し、戦力再建の時間の余裕がない。そこで速成訓練が容易で技禰未熟者でも実施可能な特攻攻撃を、陸海軍共に中核戦法として採用した。現存する飛行機と養成途中の未熟な操縦者の組み合わせによる特攻戦力によるほかに方法がなかった。こうして教育、器材の不備を精神力によって補う以外に方法がない状態となった」

フィリピンで戦力の底がみえてしまった。搭乗員を育成する時間もない。できるのは、残った少ない飛行機に半人前の操縦者を乗せて、敵に突っ込ませることしかなかった、

ということだ。

日本軍は米軍に対し、飛行機や艦船の数はもちろん科学・技術力でも遠く及ばない。航空兵の育成も遅れていた。頼るのはただ「精神力」であった。「生命の犠牲をいとわず忠節を尽くす精神は、日本民族の伝統的特質と自負されていた」と、『戦史叢書』は、特攻隊員らについて記している。

米軍に対する日本軍の劣勢は、物量と科学・技術力とも「精神力」で埋めることは不可能であった。

 

八月十五日。

正午には天皇の放送がある旨、ラジオは朝から予告をくり返していた。また、サン

フランシスコ放送は、日本がポツダム宣言を正式に受諾し、戦争が終わった旨報じており、それらは刻々宇垣に伝えられていた。そして、宇垣は参謀に命令書を書かせた。

「七〇一空大分派遣隊は、艦爆五機をもって沖縄敵艦隊を攻撃すべし。

 本職これを親率す。第五航空艦隊司令長官中将宇垣纏」

 

隊長中津留大尉は五機の搭乗員の編成割りを書いて貼り出すと、大騒ぎになった。

外された隊員たちが、なぜ外すのか、なぜ残すのか、と。とりあえず、隊員たちは土手の上で赤飯の缶詰を食べる。

遠くに整備員の一団が整列し、何かを聴いている姿が見え、やがてその整備員に接触した隊員の一人が「戦争は終わったようだ」と伝えたが、まさかと相手にせず。

こうして、午後四時近く、沖縄水域への出撃と決まり、隊員たちは指揮所前に整列したが、そこへ黒塗りの三台の車が着き、その先頭の車から、宇垣長官が降り立ち、迎える幕僚たちは、司令長官も一緒になって出撃とわかり、隊員たちは驚きの声を上げ、顔を見合わせた。

一方、宇垣は宇垣で、用意されていたのが五機でなく十一機であるのに目をみはり、

「たしか五機と命じたはずだが」これに対し、中津留が

「長官が特攻をかけられるというのに、たった五機ということがありますか。わが隊の全機でお伴します」

 

「偵察員は要らぬから、残るように」と言ったが、偵察員全員が反対したので、そのままに。

 

中津留の操縦する1番機に宇垣を乗せるためには、後部の席を空けねばならぬのだが、

 遠藤秋章飛曹長が降りるのを拒み、結局、宇垣が偵察員席に股をひろげる形で座り、その前の床に遠藤が膝をつくという窮屈な姿での出発となった。

 

かねて宇垣が司令部に用意させておいた決別電を指揮下の各部隊に発信せよと指令。

 

「過去半年に渡る麾下各隊勇士の奮戦に拘らず、驕敵を撃砕皇国護持の大任を果たすこと能わざりしは本職不敏の致すところなり

 

武か隊員の桜花と散りし沖縄に進攻皇国武人の本領を発揮驕敵米艦に突入撃沈す」

 

「私兵特攻」松下竜一「八月十五日の空」秦郁彦

中津留機他一機が沖縄本島の本部半島北訳30キロの伊平屋島に突入

「指揮官たちの特攻」

 

軍人は戦争に勝つのが職務である。戦争を始めることも、終わらせることも、彼らの職務ではない。いったん始まった戦争を、絶対不屈の精神で勝つために、彼らは戦った。その戦いに勝つことは不可能と知った後も、敢闘した。そして早くやめさせようともしたし、やめる時(負ける時)に少しでも有利になるように、軍人として最善を尽くした。それが最悪の戦闘方法、特攻であっても。最悪な戦闘方法、闘う兵隊の命を失う前提の戦闘、特攻であったことは将軍としては、みずから許せない方法ではあった。その方法を採って命令したことは、みずからの命で片を付けたといえないだろうか。

 

戦争を始め、終わらせる職務を持った人間ははたして責任を取ったのだろか。

 

特攻隊員も命を消耗し、繰り返し攻撃のない、勝ち戦につながらない特攻に対して反対した。また、すでに特攻が始まった1944年暮れには日本が負けることも見越した特攻隊員もいた。それでも彼らは特攻出撃した。自らの将来を捨て、家族を捨て、先立つことを詫び、勇敢に突入した。かれらには戦争を終わらせる責務はなかった。彼らには命を投げ出して国の為に、またしばしば「天皇陛下のために」尽くすことを要求され、命令もあっただろうが、最後は自分の意思で自分の命を差し出した。

 

果たして、彼らに命を差し出させた人々は責任をはたしたのだろうか?

その人々は直接命令した軍人ではない。なぜなら軍人は戦争に勝つために、殺されても殺すことが任務であり、全力でその任務を遂行したのだから。責任ある人々は戦争を始め、次々と国民が死んでいく中で、戦争を終わらせなかった人たちであろう。

 

日中戦争に始まる第二次世界大戦で、戦争に突入した責任が軍人になかったということではない。陸軍は特に満州で、勝手に戦争をはじめ拡大した。軍を統帥する仕組みが明確でなかったためとはいえ、それに乗じて統帥すべき者の命令なく戦争を始めた軍の責任は大きい。戦争を始める責任と責務のない軍が勝手に戦争に引きずり込んだことは軍だけではないが、その責任は非常に大きい。

 

 

 展望社刊2018年8月15日初版+同年12月7日第2刷

大東亜戦争 責任を取って自決した陸軍将官26人列伝」(全260頁)

大東亜戦争終了時あるいはその後『自決』した陸軍将官26名・・・」

大東亜戦争に関連して戦没した将官は、陸軍188名、海軍82名に上る。戦没とは、戦死、戦病死、殉職、自決、戦犯死、シベリア等抑留中の死亡等をいう」

「その内訳は、陸軍の戦死60名、戦病死33名、殉職11名、自決26名、戦犯としての刑死27名、シベリア等抑留中の死亡21名である」

「海軍は、戦死49名、戦病死12名、殉職4名、自決5名、刑死12名である」

(筆者畏友から教示頂きました)

 

 

終戦詔書大東亜戦争終結詔書)1945年8月15日

朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置を以って時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ

朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

そもそも帝国臣民の康寧をはかり 万邦共栄の楽を共にするは 皇祖皇宗の遺範にして 朕の拳々措かざる所
先に米英二国に宣戦せる所以もまた 実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出でて 他国の主権を排し領土を侵すが如きは もとより朕が志にあらず
然るに交戦既に四歳を閲し 朕が陸海将兵の勇戦 朕が百僚有司の励精 朕が一億衆庶の奉公 各々最善を尽くせるに拘らず 戦局必ずしも好転せず
世界の大勢また我に利あらず
しかのみならず 敵は新たに残虐なる爆弾を使用して しきりに無辜を殺傷し 惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る
しかもなお交戦を継続せんか 遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず 延べて人類の文明をも破却すべし
かくの如くは 朕何を以ってか 億兆の赤子を保し 皇祖皇宗の神霊に謝せむや
是れ 朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝国と共に 終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し 遺憾の意を表せざるを得ず
帝国臣民にして戦陣に死し 職域に殉し 非命に倒れたる者及び 其の遺族に想いを致せば五内為に裂く
且つ戦傷を負い 災禍を被り 家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念する所なり
思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず
汝臣民の衷情も朕よく是れを知る
然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す
朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り
もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排せい 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うか如きは 朕最も之を戒む
宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし
汝臣民それ克く朕が意を体せよ

御名御璽

昭和二十年八月十四日

Imperial Rescript


To Our Good and loyal subjects:

After pondering deeply the general trends of the world and the actual conditions obtaining in Our Empire today, We have decided to effect a settlement of the present situation by resorting to an extraordinary measure.

We have ordered Our Government to communicate to the Governments of the United States, Great Britain, China and the Soviet Union that Our Empire accepts the provisions of their Joint Declaration.[2]

To strive for the common prosperity and happiness of all nations as well as the security and well-being of Our subjects is the solemn obligation which has been handed down by Our Imperial Ancestors, and which We lay close to heart. Indeed, We declared war on America and Britain out of Our sincere desire to secure Japan's self-preservation and the stabilization of East Asia, it being far from Our thought either to infringe upon the sovereignty of other nations or to embark upon territorial aggrandisement. But now the war has lasted for nearly four years. Despite the best that has been done by every one -- the gallant fighting of military and naval forces, the diligence and assiduity of Our servants of the State and the devoted service of Our one hundred million people, the war situation has developed not necessarily to Japan's advantage, while the general trends of the world have all turned against her interest. Moreover, the enemy has begun to employ a new and most cruel bomb,[3] the power of which to do damage is indeed incalculable, taking the toll of many innocent lives. Should we continue to fight, it would not only result in an ultimate collapse and obliteration of the Japanese nation, but also it would lead to the total extinction of human civilization. Such being the case, how are We to save the millions of Our subjects; or to atone Ourselves before the hallowed spirits of Our Imperial Ancestors? This is the reason why We have ordered the acceptance of the provisions of the Joint Declaration of the Powers.

We cannot but express the deepest sense of regret to Our Allied nations of East Asia, who have consistently cooperated with the Empire towards the emancipation of East Asia. The thought of those officers and men as well as others who have fallen in the fields of battle, those who died at their posts of duty, or those who met with untimely death and all their bereaved families, pains Our heart night and day. The welfare of the wounded and the war-sufferers, and of those who have lost their home and livelihood, are the objects of Our profound solicitude. The hardships and sufferings to which Our nation is to be subjected hereafter will be certainly great. We are keenly aware of the inmost feelings of all ye, Our subjects. However, it is according to the dictate of time and fate that We have resolved to pave the way for grand peace for all the generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable.

Having been able to safeguard and maintain the structure of the Imperial State, We are always with ye, Our good and loyal subjects, relying upon your sincerity and integrity. Beware most strictly of any outbursts of emotion which may endanger needless complications, or any fraternal contention and strife which may create confusion, lead ye astray and cause ye to lose the confidence of the world. Let the entire nation continue as one family from generation to generation, ever firm in its faith of the imperishableness of its divine land and mindful of its heavy burden of responsibilities, and the long road before it. Unite your total strength to be devoted to the construction for the future. Cultivate the ways of rectitudes; foster nobility of spirit; and work with resolution so as ye may enhance the innate glory of the Imperial State and keep place with the progress of the world.

私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。

私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言 )を受諾することを通告させた。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。
先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。
しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。
それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。
それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。
そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。
これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。

私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。
さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。
考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。
あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。
しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。

私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。
感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。 
まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。
あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。

天皇陛下署名及び天皇の印

Potsdam Declaration

Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender
Issued, at Potsdam, July 26, 1945

  1. We-the President of the United States, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain, representing the hundreds of millions of our countrymen, have conferred and agree that Japan shall be given an opportunity to end this war.
  2. The prodigious land, sea and air forces of the United States, the British Empire and of China, many times reinforced by their armies and air fleets from the west, are poised to strike the final blows upon Japan. This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.
  3. The result of the futile and senseless German resistance to the might of the aroused free peoples of the world stands forth in awful clarity as an example to the people of Japan. The might that now converges on Japan is immeasurably greater than that which, when applied to the resisting Nazis, necessarily laid waste to the lands, the industry and the method of life of the whole German people. The full application of our military power, backed by our resolve, will mean the inevitable and complete destruction of the Japanese armed forces and just as inevitably the utter devastation of the Japanese homeland.
  4. The time has come for Japan to decide whether she will continue to be controlled by those self-willed militaristic advisers whose unintelligent calculations have brought the Empire of Japan to the threshold of annihilation, or whether she will follow the path of reason.
  5. Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.
  6. There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.
  7. Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.
  8. The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.
  9. The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.
  10.                                           We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.
  11. Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese participation in world trade relations shall be permitted.
  12. The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.
  13. We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.
(The Ministry of Foreign Affairs "Nihon Gaiko Nenpyo Narabini Shuyo Bunsho : 1840-1945" vol.2, 1966)

日本の降伏のための定義および規約
1945年7月26日、ポツダムにおける宣言

  1. 我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
  2. 3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。
  3. 世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
  4. 日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
  5. 我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
  6. 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和安全正義の新秩序も現れ得ないからである。
  7. 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
  8. カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州北海道九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
  9. 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
  10. 我々の意志は日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
  11. 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
  12. 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
  13. 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。