桜花

航空特攻には飛行機による突入以外に人間ロケット爆弾「桜花」があった。

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米軍による桜花分解図

 

長さ約6m、前頭部に1.2トン徹甲爆弾内蔵、全重量約2トン、特攻で最も多かった零戦の装着爆弾である250kgに比べて約5倍の強力な破壊力であった。

 

固体ロケットエンジン3本装着、急降下突撃状態で時速約800km。当時の戦闘機は最大時速500/600km台だったので、この速度は驚異的であり、機体も小さく敵艦に近接できれば撃ち落とすことは難しかった。

 

但し、 全燃料燃焼時間約30秒で、敵艦に一撃で突入できなければ、あとは海に突入するしかなかった。

 

桜花は独力で離陸できず敵艦近くまで運ぶために一式陸攻24型を改造し、その下部に搭載、敵艦に近づいてから投下、発進する方法をとったが、爆弾搭載量800kgで設計された一式陸攻にとって、全重量約2トンの桜花は非常に重く、桜花を搭載した一式陸攻は、離陸するのも限界ギリギリであり、敵戦闘機と遭遇すれば、速度・運動性に劣り、桜花もろとも撃墜されることが多かった。桜花搭乗員は発進前は一式陸攻の中に搭乗しており、発進前に敵から攻撃されたら、一式陸攻から桜花を無人で切り離し敵を回避すこともできた。

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桜花搭載の一式陸攻

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桜花を切り離した一式陸攻

 昭和45年3月21日から6月22日3ヶ月で55機が出撃戦死。
桜花を搭載した母機一式陸攻の乗員365名も撃墜され戦死した。合計420名戦死。

 

3月3日米軍マニラ完全占領、3月10日東京大空襲、3月17日硫黄島日本軍守備隊全滅、そして4月1日 米軍沖縄本島に上陸、6月23日に日本軍の組織的抵抗が終わるまで激戦が展開される中での突撃。

 

桜花の主たる戦果は

1945年4月12日第三桜花特別攻撃隊 大阪師範予備学生13期 土肥三郎中尉 駆逐艦Mannert L Abele(DD-733)マナート・L・エベール轟沈。戦死82名負傷32名。

一式陸攻は帰還。

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第三桜花特別攻撃隊

山田力也 一飛曹 予備練15期

         母機一式陸攻7名戦死

          中重正 二飛曹 丙飛12期          主操縦士

          鬼木俊勝二飛曹 甲飛12期        副操縦士

          佐藤正人少尉    宜蘭工業高等専門学校13期 主偵察員

          平野利秋一飛曹 丙飛13期        副偵察員

          北村数己一飛曹 乙飛17期        電信員

          橋井昭一飛長  特乙1期         攻撃員

          吉田有助飛長  特乙2期         搭乗整備員

岩下英三 中尉  桐生工業高等専門学校予備学生13期 母機不時着

鈴木武司 一飛曹 乙飛17期         母機一式陸攻7名戦死

今井道三 中尉  東京師範予備学生13期   母機一式陸攻7名戦死

(今村遉三?)

飯塚正巳 二飛曹 丙飛特11期        母機一式陸攻7名戦死

光斎政太郎二飛曹 丙飛17期         母機帰着するも6/22撃墜

朝露二郎 二飛曹 特乙1期          母機一式陸攻7名戦死

「神雷部隊始末記」「特別攻撃隊の記録」で若干差異あり

1945年4月12日1139-1232鹿屋基地を沖縄周辺に向け出撃

 

 

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USS Mannert L. Abele

同日、別の桜花が駆逐艦Stanly (DD-478)に命中、艦首を貫通し予備艦にした。

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USS Stanly(DD-478)

 

1945年5月4日第7神風桜花特別攻撃隊 山口師範予備学生13期 大橋進中尉 機雷敷設艦Shae(DM-30)に突入。同艦の戦死27名負傷91名。

 

同日駆逐艦Henry A Wiley (DD-749), 機雷掃海艇Gayety (AM-239)が桜花の攻撃を受けた。大きな損傷はなし。

 

第7神風桜花特別攻撃隊 0552-0630 鹿屋基地出撃

 大橋進中尉 山口師範予備学生13期 母機一式陸攻7名戦死

 田吉春一飛曹 特乙1         母機一式陸攻7名戦死

 中川利春一飛曹 特乙1           母機一式陸攻7名戦死

 石綿正義上飛曹 乙飛17期 母機帰着 掃海艇Gayetyに至近

 内藤卯吉上飛曹 乙飛17期   母機一式陸攻7名戦死

 上田英二上飛曹 乙飛17期   母機一式陸攻7名戦死

 

最後の突入戦果は1945年5月11日第8神風桜花特別攻撃隊の1機と3機の特攻機駆逐艦Hugh W.Hadley (DD-774)に突入、戦死28名負傷67名。沈没は免れたが大破した。

第8神風桜花特別攻撃隊 0556-0712 鹿屋基地出撃

 藤田幸保一飛曹 丙飛16期        母機一式陸攻7名戦死 

 高野次郎中尉 金沢高等工業学校 Hugh W.Hadley突入 母機一式陸攻7名戦死

 小林常信中尉 台北高等商業学校     母機一式陸攻7名戦死

         田中泰夫一飛曹  普電練66期 電信員として同乗 

         昭和3年生まれ 特攻隊員最年少16歳 20名の一人

「ドキュメント神風 下P14」によるとHadleyに突入した桜花は後部機械室と前部ボイラー室の中間付近、右舷に命中爆発。機械室とボイラー室が水浸しとなり傾斜し始める。5インチ砲は作動不能、艦全体が猛火に包まれた。士官下士官兵50名を除いて退艦したが残った将兵によって搭載魚雷を投棄、火災も鎮火した。日本軍機23機を撃墜したが、爆弾一発、水上機1機、桜花1機を含む4機が命中した。

 

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Hugh W.Hadley

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USS Hugh W.Hadley (DD-774)

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This side damage at the waterline flooded 3 engine rooms and put out all power.

 

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The 20mm gun mounts were incinerated by the third kamikaze plane.


桜花は合計4隻137名戦死という損害を与えた。

桜花55機の戦果としては特攻隊戦死1名に対し、米軍戦死2.5名/機(137/55)
一式陸攻を加えると0.3名/機(137/420)
特攻全体では特攻隊戦死1名に対し、米軍戦死1.9名/機(7620/3960)  

 

桜花1機で米軍損害隻数0.07隻/機(4/55)
一式陸攻を加えると0.04隻/機(4/105)
特攻全体特攻1機に対し米軍損害隻数0.2隻/機(407/1898)

 

同日5月11日0640 同じ鹿屋基地から出撃した第七昭和隊の安則盛三中尉と小川清中尉の爆装500㎏零戦52型2機は空母バンカーヒル Bunker Hill (CV-17)に突入、大破。戦死402名、負傷者264名という戦果を挙げた。これは特攻の中で最大の戦果と言えるもので、極めて例外的であるが、桜花が数少ない戦果を挙げたのと同日であったのも奇遇。

 

 桜花のみであれば、突入さえすれば米軍の人的損害は大きかったが、一式陸攻を含むと人員、艦艇共に与えた損害は特攻全体のなかでも少なかった。これは作戦実行前から分かっていたことで、桜花に対する強い反対もあった。

 

最初の桜花特別攻撃隊は1945年3月21日鹿屋基地から出撃した。
 第一次桜花特別攻撃隊

   隊長   野中五郎少佐 (海兵61期)
   桜花隊長 三橋謙太郎大尉(海兵71期)
   一式陸攻17機135名(18機143名「神雷部隊始末記」)、

   桜花15機15名の総計150名、

   海兵出身7名、残り143名予備学生と予科練出身。

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「図説特攻」

野中少佐は自ら率いる桜花隊の弱点は熟知していた。出撃に当たり70機以上の戦闘機による援護を要求したが、配備されたのは55機であった。「湊川のいくさだよ」と言ったとされる。最期を悟った楠木正成湊川のいくさに喩えた。
『海軍神雷部隊』戦友会編p18、加藤浩『神雷部隊始末記』p202
米軍は正規空母ホーネットと軽空母ベローウッドの戦闘機が迎撃した。途中25機が故障して30機になった桜花隊護衛戦闘機は戦闘のために一式陸攻から離れ、一式陸攻(米軍ニックネームBetty)は逃げるが全機撃墜された。その時の状況が米軍ガンカメラに写されている。ガンカメラは射撃と共に機銃に取り付けられた映写機が回って撮影するカメラである。

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攻撃を受ける一式陸攻

 


桜花を搭載した一式陸上攻撃機 カラー映像

 

  分隊長八木田喜良大尉(海兵68期)が野中少佐の言葉を残す。p146
「俺はたとえ国賊とののしられても、桜花作戦は司令部に断念させたい。もちろん、自分は必死攻撃をおそれるものではない。しかし、攻撃機として敵まで到達することができないことが明瞭な戦法を肯定することは嫌だ。糞の役にも立たない自殺行為に、多数の部下を道連れにすることは堪えられない。司令部では桜花を投下したら陸攻隊は速やかに帰投し、再び出撃だと言っているが、今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら自分らだけが帰投できると思うか。俺が出撃を命ぜられたら、桜花投下と同時に、自分も飛行機諸共別の目標に体当たりを食わせるぞ」
野中隊は「野中一家」と自ら呼んで、べらんめえ口調の野中少佐の統率下、結束が高かった。野中少佐の意向にも関わらず、関中尉、岩本大尉同様、特攻方法に反対する生え抜きの航空士官が最初の桜花特攻隊隊長となった。